高蔵寺について
創建933年 燈明山高蔵寺
創建933年、比叡山の僧智蔵によって創建されたと伝えられています。最盛期には一山に十二坊が存在しましたが、永禄年間の兵火で焼失し、実相坊のみが残って法灯を継ぎました。境内には本堂を始め毘沙門堂、子安の井戸など重要な建造物がございます。永禄の兵火によって消失後、荘園領主・地域の人々によって保護されて今の高蔵寺が残っています。
広々とした境内は悠久の時間が流れ、
四季折々の自然の美しさが此処に
広々とした境内には、四季折々の樹木と共に、
本堂や毘沙門堂、子安の井戸など、
歴史を感じさせる建物が点在しています。
933年に建立されて以来、
荘園領主や地域の人々によって大切に守られ、
現在も地域の方々の協力のもと、整備されています。
薬師堂
平安時代からの木造薬師如来坐像や室町時代の十二天画像など市指定有形文化財が保管されています。
木造薬師如来坐像は病気やケガなど、私たちの現実の痛みや苦しみを救ってくださる現世利益の仏様です。
子安の井戸
子供に恵まれない人や子供の夜泣きで困っている人の信仰を集めているあらたかな井戸です。
毘沙門堂
毘沙門天を祀る社です。毘沙門天とは、古来インドより財宝の神として崇められてきました。仏教では仏法を守護法神として北の方角を守る役目を担っています。日本では七福神や四天王の一人「多聞天」という名でも呼ばれ親しまれています。勇ましい姿から勝負運のご利益のほか、商売繁盛、金運、福徳などのご利益があります。
一隅を照らす
当時院は天台宗です。
天台宗は今から約1200年前に
伝教大師 最澄が比叡山に天台宗を開きました。
有名な教えに「一隅を照らす」などがあります。
「一隅を照らす」とは「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という言葉です。
一隅とは、片すみや自分のいる場所。
一人ひとりが自分のいる場所で一隅を照らしていくことこそ、私たちの本来の役目であり、
それが積み重なることで世の中がよくなるという事です。
どこかの片すみでも、小さな事でも、
一つひとつ真面目に行う。
今の自分にできることを一生懸命やる。
そうやって一人一人が灯す小さな光が
やがて大きな光となる。
当然のことではありますが、日々忘れがちなことです。
そんな当たり前のことを思い出させてくれる言葉です。
天台宗の教え
第一 | 全ての人は皆、仏の子供と宣言しました。(悉有仏性) |
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あとはこのことに気付き、その種をどのように育てるかということです。
第二 | 悟りに至る方法を全ての人々に開放しました。 |
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例えば座禅でも念仏でも護摩供を修することでも、巡礼でも、写経でも、もっと言えば茶道、華道でも、また絵画、彫刻でも方法はさまざまでいいのですが、そこに真実を探し求める心(道心)があれば、そのままそれが悟りに至る道です。
日常の生活にもそれは言えることです。多くの開祖を輩出した天台宗が日本仏教の母山と言われるのも、また日本文化の根源と言われるのもこのことからです。
第三 | まず、自分自身が仏であることに目覚めましょう。 |
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第四 | 一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動) |
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一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。